8/7(日)9:30~12:00

堤丘公民館の講堂で
校区社協主催の三世代交流会が行われました。
シニアクラブの皆さんと
堤丘小児童や、その保護者
の三世代で竹てっぽうづくりと
竹てっぽうを使ったゲームを楽しみました。
幼児を含むこども47名
シニアクラブ33名
保護者20名

他、ボランティアを含む約100人が集まりました。
まず、シニアクラブの皆さんの指導やお手伝いで
竹てっぽうを作りました。
そのあと、
出来上がった竹てっぽうを使ってゲームです。
竹ってっぽうで、水を飛ばし
その飛距離や
的当てをして、当たった回数を
競いました。

思いのほか水を飛ばすことができ
12メートル以上飛ばした子どももいました(^^♪
的当ては、命中すると水車のように回ります。
これも3回チャレンジで
すべて命中した子どももいました。
ゲームの上位3名が表彰され
子どもたちから
シニアの皆さんに
感謝の気持ちと
とても楽しかったとの感想が送られました。
ゲームの後は、
堤1丁目自治会長に
牛乳パックで作る

竹とんぼならぬ、紙とんぼの
作り方と遊び方を教えてもらいました。

子どもたちには
竹や牛乳パックを利用し
昔の遊びを体験することが
できた1日になったようです。
寄稿
堤1 小林(校区社協書記)
8/6(土)
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「咸宜園図」(公益財団法人 廣瀬資料館蔵) |
人権学習の一環として
校区人権尊重推進協議会
主催のフィールドワークが
実施されました。
今回のフィールドワークでは
日田の史跡咸宜園跡
(咸宜園教育研究センター)
を訪問しました。

咸宜園とは
豊後・日田にある江戸時代
日本最大規模の私塾(学校)で
儒学者・廣瀬淡窓によって創立された
「咸宜」とは、
「ことごとくよろしい(すべてよい)」という意味
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廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう) |
廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう)
天明2年(1782年)~安政3年(1856年)
江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。
豊後国日田の人。淡窓は号。
咸宜園の門下生には、
「蛮社の獄」で処罰された蘭学者・高野長英を始め、
長州藩出身で
幕末に活躍した大村益次郎、
長崎で写真業を開業した上野彦馬など、
たくさんの著名な人物がおり、
塾の最盛期には230人もの塾生が
この咸宜園で学んだそうです。
左は
咸宜園で学んだ福岡の学者たちの入門簿で、
身分や年齢、学歴に関係なく入門ができたそうです。
咸宜園跡地の説明をうけ、
現存する
廣瀬淡窓の居住した秋風庵などを見学
最後に、咸宜園から歩いて行ける距離にある
閑静な住宅街の一角にお墓が並ぶ緑に囲まれた長生園を訪れました。
廣瀬淡窓は、生前、お墓はここ長生園にと決めていたそうで、
淡窓の他に歴代の塾頭がここに眠っています。