2016年8月9日火曜日

堤丘 フィールドワーク

8/6(土)
「咸宜園図」(公益財団法人 廣瀬資料館蔵)
人権学習の一環として
校区人権尊重推進協議会
主催のフィールドワークが
実施されました。

今回のフィールドワークでは
日田の史跡咸宜園跡
(咸宜園教育研究センター)
を訪問しました。


咸宜園とは
 豊後・日田にある江戸時代
 日本最大規模の私塾(学校)で
 儒学者・廣瀬淡窓によって創立された
 「咸宜」とは、
 「ことごとくよろしい(すべてよい)」という意味


廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう

廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう)
  天明2年(1782年)~安政3年(1856年)
  江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。
  豊後国日田の人。淡窓は号。


咸宜園の門下生には、
「蛮社の獄」で処罰された蘭学者・高野長英を始め、
長州藩出身で
幕末に活躍した大村益次郎、
長崎で写真業を開業した上野彦馬など、
たくさんの著名な人物がおり、
塾の最盛期には230人もの塾生が
この咸宜園で学んだそうです。










左は
咸宜園で学んだ福岡の学者たちの入門簿で、
身分や年齢、学歴に関係なく入門ができたそうです。

咸宜園跡地の説明をうけ、
現存する廣瀬淡窓の居住した秋風庵などを見学










最後に、咸宜園から歩いて行ける距離にある
閑静な住宅街の一角にお墓が並ぶ緑に囲まれた長生園を訪れました。
廣瀬淡窓は、生前、お墓はここ長生園にと決めていたそうで、
淡窓の他に歴代の塾頭がここに眠っています。