8月27日
夏休み最後の土曜日の夕べ
校区の男性を対象とした料理教室
「そば打ち」道場が開かれました。
長尾の長そばの会の指導で
そば打ちの体験です。
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長そばの会代表 松尾氏(中央) |
校区の男性陣26名を前に
長そばの会代表から
本日のそば打ち道場の
説明を受けました。
二種類の粉を
よく混ぜ、
力を入れ、こねていきます。
そして
洋ナシの形を
作り上げます。
参加者に
模範演技を
見てもらいながら
二八そばの作り方手順の
説明がされました。
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そば粉を捏ね上げ、伸ばし、切ります。 |
さて、説明や模範演技の後は、参加者がそば打ちを体験します。
初めてのそば切り体験
家庭用包丁でのそば切りは
難しかったようです。
日頃つけないのでしょうか、
男性陣の三角巾やエプロンが
少しずれていて、
その姿がほほえましく
でも、そば打ちは
一生懸命取り組んでいました。
出来上がったそばは
家族へのお土産になるそうです。
堤丘自治協だより9月号ができました!
まだまだ残暑が続きますが…
校区のみなさまは夏バテなどされてませんか?
9月の堤丘校区では、早くもスポーツの秋到来!
ソフトボール大会や長尾中スポーツ交流会が
開催されます。
応援よろしくお願いします!
8月20日土曜日 18時から
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高齢者と小学生の共同制作のちぎり絵(舞台奥) |
樋井川1丁目島廻り公園で
樋1自治会主催の
ふれあい夏祭りが
開催されました。
樋1ふれあい夏祭りの主役は
樋1在住の子どもたちです。
祭りの舞台には
樋1ふれあいサロン
(高齢者のサロン)
に、夏休み中の子どもたちが参加して
おじいちゃんやおばあちゃんと
つくったちぎり絵が飾られ
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合奏 |
祭り最初のプログラムには
町内在住の37名の堤丘小学校児童が参加し
茶色の小瓶(ジャズのスタンダード・ナンバー)を
リコーダーや木琴、鍵盤ハーモニカで合奏しました
また、「夏祭り(唄
Whiteberry)」
を、みんなで合唱
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手話で合唱 |
最後に「365日の紙飛行機(
NHK朝ドラ『あさが来た』)」
を手話を交えて合唱しました。
夏休み中
子どもたちは町内の集会所に集まって
この日のために一生懸命練習したそうです。
子どもたちの一生懸命な姿に
保護者の皆さん、
お店を出している地域の皆さん
一般の観客の皆さんから
温かい拍手が送られました。
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ラムネ早飲みと風船早割競争 |
そのあとはラムネ早飲み
風船早割競争
パン食い競争など
子どもたちが舞台上で
輝いていました。
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パン食い競争 餅を取ろうと一生懸命 |
堤丘小校区は城南区でも
高齢化率が高く
樋1(約500世帯)でも
約3割の町民が高齢者です。
そんな町の子どもたちです。
小さな町の
小さな公園で行われた
ふれあい夏祭り
今年の猛暑を忘れさせてくれる
心地よい夜風にふかれ
子どもやおとなが楽しんだ夕べでした。
8/7(日)9:30~12:00
堤丘公民館の講堂で
校区社協主催の三世代交流会が行われました。
シニアクラブの皆さんと
堤丘小児童や、その保護者
の三世代で竹てっぽうづくりと
竹てっぽうを使ったゲームを楽しみました。
幼児を含むこども47名
シニアクラブ33名
保護者20名
他、ボランティアを含む約100人が集まりました。
まず、シニアクラブの皆さんの指導やお手伝いで
竹てっぽうを作りました。
そのあと、
出来上がった竹てっぽうを使ってゲームです。
竹ってっぽうで、水を飛ばし
その飛距離や
的当てをして、当たった回数を
競いました。
思いのほか水を飛ばすことができ
12メートル以上飛ばした子どももいました(^^♪
的当ては、命中すると水車のように回ります。
これも3回チャレンジで
すべて命中した子どももいました。
ゲームの上位3名が表彰され
子どもたちから
シニアの皆さんに
感謝の気持ちと
とても楽しかったとの感想が送られました。
ゲームの後は、
堤1丁目自治会長に
牛乳パックで作る
竹とんぼならぬ、紙とんぼの
作り方と遊び方を教えてもらいました。
子どもたちには
竹や牛乳パックを利用し
昔の遊びを体験することが
できた1日になったようです。
寄稿
堤1 小林(校区社協書記)
8/6(土)
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「咸宜園図」(公益財団法人 廣瀬資料館蔵) |
人権学習の一環として
校区人権尊重推進協議会
主催のフィールドワークが
実施されました。
今回のフィールドワークでは
日田の史跡咸宜園跡
(咸宜園教育研究センター)
を訪問しました。
咸宜園とは
豊後・日田にある江戸時代
日本最大規模の私塾(学校)で
儒学者・廣瀬淡窓によって創立された
「咸宜」とは、
「ことごとくよろしい(すべてよい)」という意味
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廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう) |
廣瀬淡窓(ひろせ・たんそう)
天明2年(1782年)~安政3年(1856年)
江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもあった。
豊後国日田の人。淡窓は号。
咸宜園の門下生には、
「蛮社の獄」で処罰された蘭学者・高野長英を始め、
長州藩出身で
幕末に活躍した大村益次郎、
長崎で写真業を開業した上野彦馬など、
たくさんの著名な人物がおり、
塾の最盛期には230人もの塾生が
この咸宜園で学んだそうです。
左は
咸宜園で学んだ福岡の学者たちの入門簿で、
身分や年齢、学歴に関係なく入門ができたそうです。
咸宜園跡地の説明をうけ、
現存する
廣瀬淡窓の居住した秋風庵などを見学
最後に、咸宜園から歩いて行ける距離にある
閑静な住宅街の一角にお墓が並ぶ緑に囲まれた長生園を訪れました。
廣瀬淡窓は、生前、お墓はここ長生園にと決めていたそうで、
淡窓の他に歴代の塾頭がここに眠っています。